東京地方裁判所 昭和25年(ワ)7354号 判決 1960年3月09日
原告 大住清
被告 株式会社銀座月堂
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一、当事者双方の申立
(請求の趣旨)
一、被告は、別紙目録第一に表示する商標登録番号第一二四、〇二四号の「扇型三か月」の商標(以下本件図型商標という)および同目録第二に表示する商標登録番号第七六、九四七号の「月堂」という商標(以下本件文字商標という)と同一または類似の標章を、干菓子、蒸菓子、掛け物、砂糖漬、西洋菓子、菓子および麺麭類に使用してはならない。
二、被告は、本件各商標と同一または類似の
(一) 東京都中央区銀座西六丁目三番地の一所在、被告店舗入口正面上の「銀座月堂」という浮出し文字標章
(二) 同店舗正面向つて左角の上に存する扇型三か月標章
(三) 同店舗内に掲げてある「銀座月堂」という文字を表示した金看板
(四) 同店舗入口ガラス戸に示した扇型三か月の標章
を、いずれも使用してはならない。
三、被告は原告に対し、昭和二三年一一月四日から、本件各商標と同一又は類似の標章の使用を止めるまで、一か月金五〇、〇〇〇円の割合による金員を支払え。
四、被告は、東京都内発刊の朝日、読売、毎日および産業経済の各新聞の朝刊並びに夕刊に、おのおの三回、左記内容の謝罪広告文を、氏名および宛名は二号活字、本文は四号活字をもつて掲載せよ。
謝罪広告
貴殿が専用権をせられる商標登録番号七、六四七号(月堂)および同第一二四、〇二四号(扇型三か月)の商標を、昭和二三年一一月四日店舗新築とともに無断で使用致しましたことは、誠に申し訳なく、爾今絶対に使用致さないことを誓約致しますとともに、ここに新聞紙上において、普く謝罪の意を表する次第であります。
昭和年月日
中央区銀座西六丁目三番地の一
株式会社 銀座月堂
代表取締役 横山巖
中央区京橋二丁目三番地
月堂本店 大住清殿
五、訴訟費用は被告の負担とする。
との判決、並びに右第四項を除くその余の部分に対する仮執行の宣言を求める。
(被告の申立)
請求棄却の判決を求める。
第二、当事者双方の主張
(請求の原因)
一、原告先代(六世)大住喜右衛門は、先々代(五世)大住喜右衛門以来、その営業である菓子類の製造販売に関して、看板および商標として使用していた本件図型商標並びに文字商標のうち、前者につき、明治三二年七月三〇日登録第一四、七三六号として商標権を得たが、右商標権は大正九年七月二四日出願同年一二月二五日登録第一二四、〇二四号をもつて更新せられ、指定商品第四三類(干菓子、蒸菓子、掛物、砂糖漬および西洋菓子)、登録番号第一二四、〇二四号の商標権となり、後者について、大正四年一二月一日出願、大正五年一月二〇日登録にかかる指定商品第四三類(菓子および麺麭の類一切)、登録番号第七六、九四七号の商標権を得た。そして本件図型商標については昭和一四年九月一二日出願同年一二月一日登録により存続期間が更新され、本件文字商標については昭和一〇年四月八日出願同年六月二一日登録により存続期間が更新された。原告先代は、これ等各商標を右指定商品に使用して菓子類の製造販売をしていたが、昭和七年九月三〇日その営業とともに株式会社月堂本店にこれ等を譲渡し、原告は昭和二二年一二月三〇日同会社より更に営業とともに右各商標権を譲り受け、現にこれ等の商標権者である。
二、被告は、昭和六年一二月一四日設立された菓子類の製造販売を目的とする会社であるが、昭和二三年一一月四日その肩書地に店舗を新築するとともに同所で営業を開始し、その商品には本件各商標と同一または類似の標章を用い、またその店舗には、少くとも請求の趣旨第二項記載のとおり、本件図型商標と同一の標章および本件文字商標と類似の「銀座月堂」という標章を使用している。
三、原告は、被告が本件各商標と同一または類似の標章を使用することにより、次のような損害を蒙つている。すなわち、
(一) そもそも本件文字商標の「月堂」という呼称は、寛政のはじめ頃、松平楽翁が、原告先々代の上納した菓子の品質風味を佳賞して下賜した「風月」という題字に淵源し、その文字に「風」を用いず「」とするのは、その後越前守水野忠邦が、当時第一の書家を招いて大きな白布に「月堂」と揮毛させ、これを店頭に掲げよと付与したその文字に由来するものであり、本件図型商標の「扇型に三か月」は、右「月」の文字を図型化したものに他ならない。
(二) このようにして、原告の一家は家号を月堂とし、徳川時代の昔から今日に至るまで菓子類の製造販売を続けてきたものであるが、その製造するものは、製法の独自性、品質の精選、風味の優雅等の点で他の追随を許さず、今やその声価は天下に普く及ぶに至つている。
従つて、被告がみだりに本件各商標を使用して同一の商品を製造販売することによつて、原告はその信用を毀損され、かつ商品の声価を傷付けられたほか、毎月金五〇、〇〇〇円相当の得べかりし利益を喪失している。
四、よつて原告は被告に対し、請求の趣旨記載のとおり、被告の標章の使用禁止、および謝罪広告を求めるとともに、被告が店舗を新築開店した昭和二三年一一月四日から、本件各商標と同一又は類似の標章の使用を止めるまで一か月金五〇、〇〇〇円の割合にする損害金の支払を求めるため、本訴に及んだものである。
(答弁および抗弁)
一、原告主張事実のうち、第一、第二項はいずれもこれを認めるが、第三項は争う。
二、被告は、本件各商標に対し、商標法(大正一〇年法律第九九号)第九条第一項後段により、いわゆる周知標章使用権を有する。すなわち、
(一) 訴外亡米津松濤は、原告の先々代の頃月堂の使用人であつたが、多年の功労により東京両国の若松町に、いわゆる「のれん」を分けてもらい、本件各商標と同一の標章を使用して菓子類の製造販売を始め、その次男米津常次郎は、明治五年頃分家すると同時に、この両国月堂の分店として当時の京橋南鍋町(現在の中央区銀座西六丁目四番地)に開店し、原告先々代の許しを得て、それを「銀座月堂」と呼ぶとともに、この標章並びに本件図型商標と同一の標章を使つて菓子類の製造販売を開始するに至つた。
(二) この銀座月堂は、その後一時は栄えたが、昭和六年頃著しい経営不振に陥り、その危機を切り抜けるため米津常次郎は資産および右標章の使用を含む営業権の一切を出資して、その頃合資会社銀座月堂を設立した。その後間もない同年一二月一四日、同人は右合資会社の組織替えを思いつき、ここに被告会社を設立したが、その際、被告会社は右営業とともに、右標章の使用をも承継した。
(抗弁に対する原告の答弁)
一、被告主張の抗弁事実のうち、米津松濤が原告先々代の頃その月堂の使用人であつたこと、米津松濤が多年の功労により、東京両国の若松町に「のれん」を分けてもらい、本件各商標と同一の標章を使用して菓子類の製造販売を始めたこと、その次男米津常次郎が、分家すると同時に京橋の南鍋町に開店し、原告先々代の許しをえて、同店を「銀座月堂」と呼ぶとともに、この標章並びに本件図型商標と同一の標章を使用して菓子類の製造販売を開始したこと、米津常次郎が昭和六年一二月一四日被告会社を設立したことは、いずれもこれを認める。米津常次郎が銀座月堂を開店したのは明治一〇年である。
二、被告には、その主張のような周知標章使用権はない。
(一) 原告先々代もしくは先代の時代、本件各商標と同一の標章の使用を許容されたものは、米津松濤、米津常次郎のほかにもあるが、これ等はいずれも原告先々代または先代の親族もしくは使用人等原告の一族と密接な連がりのあるものに限られ、月堂本店の支店もしくは分店として、「のれん」を分けたものであつて、米津常次郎の場合も、右本店の南鍋町支店として開店したものにほかならない。したがつて、これ等標章の使用も、「のれん」を分けてもらつた個人もしくはその正当な相続人に限つてのみこれを許され、みだりにこれを他人に譲渡することのできないのはもちろんのこと、法人は、たとえ正当に標章の使用を許された人がこれに所属する場合であつても、その使用を許されないものである。
合資会社銀座月堂または被告会社において、本件各商標と同一また類似の標章を使用していたのは、はじめ米津常次郎がこれ等会社に実権をもつて支配し、昭和七年一二月同人の死亡とともにその相続人米津修二がこれを引き継いで会社の運営に当つていたので、原告もこれを容認していたのに過ぎない。
しかるに、今や、米津修二は被告会社から退き、被告会社は原告と全く無縁のものとなつたから、右各標章の使用を認めることはできない。
(二) 本件各商標と同一もしくは類似の標章の使用関係は右に述べたとおりであるほか、例えば月堂の声価を毀損する等して「のれん」を傷付けるような所為があるときは、一たん与えた使用許可も、本店において何時でも取消ができ、「のれん」をとりあげて標章の使用を禁止することができる取極めである。従つて、以上のような厳重な制約の付せられた本件各商標と同一もしくは類似の標章の使用に関する法律関係は、一種の使用貸借契約ということができるが、商標法第九条は、本件のように、本店と支店との関係にある当事者が、叙上の契約にもとずいてその使用を許容した場合を予想した規定ではないから、被告会社にその主張のような権限はない。
第三、証拠関係
(原告の証拠等)
甲第一ないし第四号、第五号証の一の一ないし五、第五号証の二第六号証の一、二、第七ないし第九号証、第一一号証の一、二、第一二ないし第一六号証を提出、検証の結果および証人米津修二、同七沢康太郎および同松本又竜の各証言並びに原告本人尋問の結果を援用、乙第一、第二号証の各一、二、第五、第六号証、第九号証、第一二号証の一ないし一一の各成立並びに第三、第四号証の原本の存在およびその成立はいずれもこれを認めるが、その余の乙号各証の成立は知らない。
(被告の証拠等)
乙第一、第二号証の各一、二、第三ないし第六号証、第七号証の一、二、第八号証の一ないし三、第九、第一一号証、第一二号証の一ないし一一および第一三号証を提出、証人久岡栄および同萩原貴光の証言を援用、甲第一六号証の成立は不知、その余の甲号各証の成立はいずれもこれを認め、うち第五号証の一の一ないし五、第五号証の二第六号証の一、二および第七ないし第九号証は、これを利益に援用する。
理由
一、本件図型の商標が明治三二年七月三〇日登録せられ、大正九年一二月二五日更新登録せられたこと、文字商標が大正四年一二月一日出願、大正五年一月二〇日登録せられその後原告主張のとおり存続期間が更新されたこと、これ等の指定商品が原告主張のとおりであること、原告がその主張のような経過で、本件各商標権を取得し、現にこれ等の権利者であること、被告が、原告主張のとおり、本件各商標と同一または類似の標章を使用して右指定商品と同一の菓子類の製造販売をしていることは、いずれも当事者間に争いがない。
二、次に、米津常次郎が遅くも明治一〇年頃から菓子類の製造販売業を営み、原告先々代の許しを受けて、その商品に、本件文字商標と類似の「銀座月堂」という標章および本件図型商標と同一の標章を使用していたこと、および同人が昭和六年一二月一四日被告会社を設立したことは、当事者間に争いがなく、更に同人が昭和六年頃自己の資産および右標章の使用を含む営業の一切を出資して、合資会社銀座月堂を設立したこと、被告会社がその設立の際、右合資会社から営業並びに右標章の使用を承継したことは、原告の明らかに争わないところである。
三、ところで、現行の商標法(大正一〇年法律第九九号)第九条第一項によると、他人の登録商標の登録出願前より同一の商品に、周知せられた同一または類似の標章を善意で使用する者、あるいはその者から、その営業とともにその標章の使用を承継したものは、他人の商標権によつて、自己の標章の使用を妨げられないことが明らかであるが、この規定は、同一年または類似の商品に慣用されている標章と同一または類似の商標は、本来登録して、これにその商標を専用せしめる権限を与えることができない筈であるのに、一旦それが登録されると、無効審判を経ない限り、それ以前から右標章を使用しているものの既存の利益を奪うという不当の結果を生じるため、これ等の調和を計ろうとするものであつて、この種の規定は、新商標法(昭和三四年法律第一二七号)第三二条第一項、不正競争防止法(昭和九年法律第一四号)第二条第一項第四号等にも見られるところである。従つて、本件図型商標の登録せられた明治三二年七月三〇日当時施行せられていた商標法(明治三二年法律第三八号、施行同年七月一日)、もしくは右商標が出願せられたであろう当時施行せられていた商標条例(明治二一年勅令第八六号)に、前記のような明文の規定がない場合であつても、当該商標が登録出願せられる前から、それと同一または類似の標章を同一の商品に、善意で使用していた者、もしくはその者から営業とともにその標章の使用を承継した者は、右商標が登録せられたことに関係なく、その標章の使用を継続できるものと解すべきであり、本件文字商標の出願せられた大正四年一二月一日またはこれが登録せられた大正五年一月二〇日当時施行せられていた商標法(明治四二年法律第二五号)第六条の規定も、同一趣旨に解釈すべきである。
四、果してそうだとすると、被告は本件商標と同一又は類似の標章の使用権を有しているといわなければならない。
もつとも証人米津修二、同七沢康太郎の各証言原告本人尋問の結果及び原告本人尋問の結果により成立を認める甲第一六号証によれば、いわゆる「のれん」分けについて原告主張のような慣習のあることは認められるが、右「のれん」のいわゆる本店が伝統的な慣習の領域に止まらず、商標法による保護を受けようとする場合には、既に「のれん」分けによつて独立の営業を営んでいるいわゆる「分店」「支店」の利益は商標権によつて無に帰せしめられるべきではなく、両者の利益を調和するためにはいわゆる「分店」「支店」にも周知標章の使用権があるものと認めるのが相当である。従つて「のれん」分けの場合には商標法第九条の適用がないとする被告の抗弁に対する原告の反駁は理由がない。
してみると、原告の本訴請求は爾余の点に対する判断をまつまでもなくすべて失当として棄却を免れない。
よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 岡松行雄 鉅鹿義明 飯原一乗)
目録
第一、登録番号一二四、〇二四号
第二、登録番号七六、九四七号